久しぶりに文化を堪能、上野の散策
会社を休んだお盆明けの昨日、上野の森に行ってきました。
正倉院展依頼となるので、2年ぶりです。
お目当ては、聖徳太子1400年御遠忌記念の「聖徳太子と法隆寺」展。そして聖林寺の国宝十一面観音菩薩立像です。
コロナの世になってから初めての博物館、事前予約制でしたが、予定が立たないので、当日券空きありの情報を見つつ行きました。
結局のところは、難なく入ることができ、そして非常に静かに、そしてゆっくりと展示を鑑賞できるという、コロナの少ない恩恵にあずかれる場所でした。
法隆寺金堂に置かれている飛鳥時代の薬師如来坐像。その美しい姿を見られたことも素晴らしかったですが、光背の後ろに書かれている銘も見ることができ、その記載が本物であれば、推古天皇の時期に書かれた文字を見ることができるという、なかなかない体験です。「天皇」の文字も何か所も見られ、日本語が1000年以上も変わっておらずに読むことができるということを、とても幸せに感じました。
ちょうど『天孫降臨の夢』(大山誠一著)を読んだところで、聖徳太子非実在論を叩きこまれたところでしたが、太子信仰の宝物をたくさん見ることで、少し揺り戻しされた格好です。
薬師如来も素晴らしかったですが、最後の部屋に展示されていた、銅造阿弥陀如来及両脇侍像(伝橘夫人念持仏)が白眉だったように思います。素晴らしい彫刻で、大きさが小さいからこその緻密な細工に驚きました。
一昨年の敦煌訪問から、シルクロードの終着駅である奈良の仏像や、法隆寺、特に玉虫厨子に描かれた捨身飼虎図などをめぐりたいと思っていましたが、思いがけずその一端に触れることができました。
会場の平成館の1階では、縄文遺跡の世界遺産登録に合わせ、青森発掘の遮光器土偶が展示されていました。
想像していたものより大きくて、ユーモラスを越してやや不気味な感じさえする像。縄文を代表する土偶たちの中でも、あまりにも個性的でアーティスティック。なかなかのしろものでした。
聖林寺の仏像も見に行かなくてはならないので、ちらちらと考古学展示の部屋を歩きながら先を急いていると、ふとガラスの碗が目に入っていました。
私がずっと見たいと思っていた、ササン朝ペルシャで6世紀に造られた名品、「白瑠璃碗」です! 正倉院に伝わっているものと同型で、安閑天皇陵から江戸時代に出土したといわれる逸品で、井上靖の『玉碗記』にも描かれているものです。
サイト上では展示未定となっていましたが、何とか見つけたいので、東洋館の西アジアコーナーをチェックする予定にしていました。まさかの考古展示室での出会いでした。
江戸時代にすでに割れていたところが漆で補修されていたものだそうです。正倉院のものは、円形切子が重なり合って亀甲になっていますが、こちらは円形が残っています。
ササン朝が大量生産して、世界中に販売していたヒット商品なのだそうです。
スポーツの展示室には、これまでのメダルが展示されていました。長野五輪のメダルは、凝っていて、すごく覚えています。博物館もなかなか広範囲に展示していて面白いですね。
本館に移動して、聖林寺の観音様を見に行きます。
半沢直樹で有名になった正面階段。この階段の下が特別展示室になっており、そちらに十一面観音がありました。
2mほどの大きな観音様が、三輪山と三重鳥居を背景にして、すっと立っていらっしゃいました。天平を代表する仏像だそうで、金箔が残り、とてもきれいなお顔でした。
本館を後に東洋館へ。ここでは、敦煌から来た宝物がいくつかありました。莫高窟の蔵経洞から持ち出されギメ博物館に収められたものが何かと交換されて、日本に来たものだそうです。
久しぶりの博物館は、あちこち回ると疲れます。今回はここまでとして、最後に上野公園の一角にある奏楽堂へと足を延ばしました。
東京音楽学校(現東京芸大)の音楽ホールとして建てられ、その後明治村に売却されるところを、芥川也寸志、黛敏郎らの卒業生作曲家の運動により、なんとか上野の地に保存されることとなり、その後重要文化財となった建物です。
このホールで、本邦初演の数々の名曲が演奏され、滝廉太郎、山田耕筰が活躍した場所と思うと、日本の音楽遺産ともいえる場所です。
初めて訪問しましたが、今度は音楽会に来てみたいと思います。
コロナの中ではありながら、静かに文化を楽しむことができた休日でした。