アンフォラのつぼ

花鳥風月の写真とクラシック音楽(特に小澤征爾)を追いかけています。

瀋陽故宮【中華人民共和国】

文化遺産】北京・瀋陽の明・清王朝の皇宮
登録名:Imperial Palaces of the Ming and Qing Dynasties in Beijing and Shenyang
登録年:1987年(瀋陽故宮の追加登録は2004年)
 
 
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【概要】
中国東北部瀋陽にある故宮は、ヌルハチホンタイジ時代の宮殿であり、ホンタイジが大清国の建国を宣言した場所でもある。1636年に完成し、初めは盛京宮闕と呼ばれた。清朝第3代皇帝の順治帝が北京に遷都してからは、奉天行宮と呼ばれ、先祖の陵墓への参詣など東北地方の行幸の際に使われていた。
中央の中路と呼ばれるエリアには、ホンタイジ時代に建てられたもので、正殿である崇政殿や後宮の建物が続く。中軸上の建物の左右に、東宮、西宮と呼ばれる建物があり、乾隆帝の時代などに建てられた寝宮、皇太后のための建物などが並ぶ。
東路には、広々とした敷地にヌルハチ時代に建てられた建物群が並ぶ。遊牧民の時代の政治形態を表すような建物の配置が独特。
西路には、北京遷都後に建てられた四書をおさめる建物が並ぶ。
 
 
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南の正門である大清門
 
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故宮の正殿である崇政殿。ホンタイジは、ここで政務、軍務を執り行った
 
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崇政殿の玉座。「正大光明」の額がかけられている
 
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崇政殿の後ろに立つ鳳凰楼。この奥に後宮の建物が並ぶ。当時の瀋陽市内では最も高い建物だったという
 
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左が中路の中軸城にある清寧宮。左右に妃嬪の暮らした建物で、右は関睢宮
 
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中路のなかで西側に連なる西宮は、北京遷都後に瀋陽を訪れた皇帝の生活の場となったところ。手前は継恩斎で、奥は崇漠閣
 
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中路のうちの東側は東宮と呼ばれ、北京遷都後に訪れた皇太后の生活の場。頤和殿は皇太后が謁見などをおこなったところ
 
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西路の中心的な建物文溯閣。四書全書をおさめるために建てられた
 
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東路の建物群。中央に大政殿、その左右に十王亭と呼ばれる建物が並ぶ。大政殿の両脇は左右の翼王亭、さらに右側が奥から正黄旗、正紅旗、正藍旗、正白旗の大臣たちの建物。左側が饒黄旗、饒紅旗、饒藍旗、饒白旗の建物。これらが満州族独特の八旗と呼ばれる軍事制度の姿を示している。
八旗制度については、この建物のいくつかを使って説明がされている。
 
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展示されていた八旗の一部。正とつうく旗4種で、手前から正藍旗、正八旗、正黄旗、正紅旗
 
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饒のつく八旗のうちの4種。饒とは縁取りのこと。手前から饒黄旗、饒白旗、饒紅旗、饒藍旗
 
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皇帝が大典を行う大政殿。ヌルハチの時代に建てられたもの
 
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大政殿の玉座。ここでホンタイジが大清国の建国を宣言した
 
 
旅行記
2010年11月22日  瀋陽旅行記 2日目
瀋陽観光の日、昼過ぎに北陵公園からタクシーで到着。故宮の前までは車が入れないので、手前で下車。にぎわう街中を歩くと、紅い故宮の壁が見えてくる。大清門から入城すると、まずは中路の建物群が見える。ハイライトの東路は最後にし、中路、西路とめぐったのち、東路へ。『中原の虹』の場面が目に浮かんでくるようだ。本を飛んでから訪れると、草原の民が政権を作り、中原の様式を取り入れながら折衷して造られた建物なんだということが、ぐっと迫ってくる。