クラック・デ・シュヴァリエ【シリア・アラブ共和国】
登録名:Crac des Chevaliers and Qal‘at Salah El-Din[
登録年:2006年
クラック・デ・シュヴァリエ
【概要】
シリアの地中海沿岸の街タルトゥースと、中部の都市ホムスの中間に位置し、標高650mほどの丘の山頂稜に位置している。十字軍時代に築かれた城砦の中で、最も築城技術や保存状態が良いものとされている。
シリアの地中海沿岸の街タルトゥースと、中部の都市ホムスの中間に位置し、標高650mほどの丘の山頂稜に位置している。十字軍時代に築かれた城砦の中で、最も築城技術や保存状態が良いものとされている。
1031年にアレッポ城主によって築城されたが、1144年に移り住んだ聖ヨハネ騎士団によって、本格的に城砦化された。巨大な倉庫群や直角を多く用いた防御を意識した建築技術や、ゴシック様式の建築などが残されている。当時は2000人近い兵が駐留していたという。1272年に第9回十字軍によってこの城を訪れたイングランド王エドワード1世は、帰国後領地内にこの城を手本として築城するなど、中世ヨーロッパの築城にも影響を与えた。
カラット・サラーフ・アッディーンとともに、シリアを代表する十字軍時代の城として世界遺産に登録された。
かつては濠と跳ね橋があったという、堅牢な城門。現在はここが駐車場になっている。
馬も通ったという傾斜通路。城門から城の内部へと続いているが、見通しは聞かない。
城壁と一体化している厩舎。右手にスルタンの塔と呼ばれる四角い塔がある。
厩舎の内部。上部に明り取りの小窓が開いている。
厩舎から見上げると、内城の堅牢な塔がそびえる。その間には濠もある。
中庭にある回廊は、いかにもヨーロッパ風。右手には礼拝堂の建物がある。
ゴシック式のアーチがある回廊内部。
巨大な食糧貯蔵庫。左右にも広がっている。柱が太いため、見通すことはできない。奥には井戸やオーブンの跡などもある。
礼拝堂は、イスラム勢力が入城してからは、モスクへと帰られた。ミフラーブ(メッカの方向を示すくぼみ)や、ミンバル(説教壇)がある。
城で最も高い東の塔へ登ると、城や周辺の丘陵風景が一望の下。ヨーロッパの観光客が多かったのは、やはり十字軍関連の史蹟だからだろうか。
塔から見下ろした厩舎。ほとんどまっすぐに濠へと落ち込んでいる。右の方を見ると、城壁の橋が円形の塔になっているのが分かる。