アンフォラのつぼ

花鳥風月の写真とクラシック音楽(特に小澤征爾)を追いかけています。

清永陵【中華人民共和国】

文化遺産】明・清王朝の皇帝陵墓群
登録名:Imperial Tombs of the Ming and Qing Dynasties
登録年:2000年(清永陵の追加登録は2004年)
 
 

清永陵

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【概要】
清の故地である中国東北部にある、関外三陵のうち、唯一瀋陽市ではなく、撫順市新賓満族自治県にある。瀋陽から東に150kmほど。近くには永陵鎮という集落があり、5kmほど離れた所には、ヌルハチが後金を建国したホトアラ城がある。
啓運山の麓にあるこの陵墓には、太祖ヌルハチの祖先が祀られている。2598年に建てられ、1611年に完成した。6人が埋葬されているが、遺体が埋葬されているのが4人で、2人は遺品がおさめられている。創建時は興京陵と呼ばれたが、1659年に永陵と改称された。清代の皇帝たちは、計9回にもわたり、この地へ参拝に訪れた。
 
 
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啓運山の南麓に立つ永陵。街道からはまっすぐな道が陵まで続いている
 
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永陵の正紅門。福陵、昭陵に比べると簡素な印象がある
 
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四祖碑亭。ヌルハチの祖先たちの業績を称えた碑をおさめている
左から
顕祖 塔克世 タクシ ヌルハチの父
興祖 福満 フマン ヌルハチの曽祖父
肇祖 孟特穆 モンティムール ヌルハチの6代前の祖先
景祖 覚昌安 ギオチャンガ ヌルハチの祖父
以上の業績について碑が立てられている。
 
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四祖碑亭の後ろにある啓運門。ここからが陵墓の中心部となる
 
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啓運門の手前にある果坊。祭祀用の果物を保管するところ。反対の西側には、同じ形の膳坊がある
 
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山を背に立つ啓運殿。祭祀などを行う、陵墓の中心。後ろに祖先たちを葬っている宝頂がある
 
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啓運殿には、8つの玉座がある。おそらく、ヌルハチの父、祖父、曾祖父、6代前の祖先それぞれの妻のものだろう
 
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啓運殿の前の西側に立つ西拝殿
 
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西拝殿に向かいあう東拝殿
 
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啓運殿の裏にある宝頂。5つの土饅頭があるが、1段高い所にあるのがヌルハチの父、祖父、曾祖父のもの、1段低い所にあるのが伯父、叔父のもの、そして、中央のものの右後ろにある土饅頭のない目印のみのものが、6代前の祖先の遺品をおさめているところだという
 
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宝頂の中央には楡の木がある。ヌルハチが戦いに出る際に、持っていた祖先の遺骨を楡の木に結んだところ、独りでのその根元の穴に吸い込まれたという伝説に基づいている。
このあたりの記述は、浅田次郎の『中原の虹』にも詳しい。さらに、この本では、この永陵の楡の木の下、石段にある龍陛の下に宝物が眠っているということが、話のきっかけになっている
 
 
旅行記
2010年11月23日  瀋陽旅行記 3日目
瀋陽3日目。かなり距離がある永陵に向かうべく、車をチャーター。遼寧省中国旅行社に手配すれば、日本からYahooメールでやり取りできる。ただし、かなり値段はなるので、流しのタクシーなどに交渉することもできるとは思う。高いだけあって、車は快適で、広いし、道に迷うことはない。
午前5時30分に出発し、夜が明けていく中を向かう。7寺30分くらいには周辺に到着し、ホトアラ城を見学した後、永陵へ。氷点下5度ほどの極寒の中ではあるが、素朴で、インパクトの強い陵墓が面白く、1時間をかけて見学。
『中原の虹』が文庫化され、キーポイントとなる場所だけに、これから日本人の来訪が増えるかもしれない。