アンフォラのつぼ

花鳥風月の写真とクラシック音楽(特に小澤征爾)を追いかけています。

【瀋陽旅行記】第3日 撫順市永陵へ

2010年11月23日(火)

瀋陽旅行最終日。
昼過ぎの飛行機で帰国しなくてはなりません。
行きたいところは、瀋陽から150kmほどのところにある、清の太祖ヌルハチの祖先が葬られている永陵です。
そこで、遼寧省中国旅行社に頼んで、専用車をらうことにしました。
正直工学ではあったのですが(1400元)、行きたいところに自由に連れて行ってくれて、空港まで送ってもらうことを考えると、航空券代もかかってないことだし、ということで、決断しました。
 
早朝5:30に遼寧賓館を出発。
高速道路を快適に飛ばしていくと、夜が明け始める。田舎の家々からは、石炭か何かを燃やす煙が上がり始めていました。
予定よりも早く、7:45には、永陵鎮に到着。
少し先にあるホトアラ老城に向かいます。
 
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ここは、ヌルハチ満州族を平定し、大金国(歴史的には後金)の建国を宣言したところで、遼陽、瀋陽へと都を移し、清を建国する足がかりとなったところです。清国の発祥地ということができます。
 
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ホトアラ城の北門です。復元されたものです。
 
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ホトアラ城の中心にある、ヌルハチの宮殿群の復元です。想像で造られたものだそうで、本当にこのようなものだったかはわからないようです。後ろの建物には、オンドルが設置されていました。
 
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汗王井と呼ばれる、城の井戸で、これは築城のころからのものだそうです。水の確保がなければ、城を築くことはできないので、これがあったことが、大きな意味を持つようです。
 
ちなみに、早朝過ぎて、正式なオープン時間ではなかったのですが、どこも門が開いていたので、見せていただきました。気温は-5度ほど。相当に相当に寒くて、メモをとる手がほとんど役に立ちませんでした。やや唇が凍傷気味になってしまいました・・・。
 
車に戻り、目的地の永陵に向かいます。
 
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永陵の前の通りに立つ大きな門です。前清の故郷と書いてあります。
 
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永陵は、ヌルハチの父、祖父、叔父、曾祖父、6代前の祖先など、6人を祀っているところです。2人は遺品をおさめているそうです。
写真は、その中の4人についての功績を書いた碑がおさめられている建物です。
他の陵墓だと、その墓の主は1人なので、この建物は1つですが、ここでは4つが並びます。
 
この永陵は、規模は小さいのですが、瀋陽の福陵、昭陵とあわせて関外三陵(山海関の外にある3つの陵)と呼ばれ、清の時代には、満州族にとっての聖地となっていました。その三陵ともに、2004年には、北京にある明、清の陵墓群とともに、世界遺産に指定されています。
 
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永陵の方城は、啓運山という山の麓に抱かれています。この建物には、8つの玉座があり、遺体が埋葬されている4人のの祖先夫妻の座がしつらえられています。
 
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最も奥には、祖先たちの土饅頭があります。中央には楡の木があります。この木はご神木で、かつて、ヌルハチが戦いに赴く際に、楡の木に祖先の遺骨を縛り付けたところ、その根元の深い穴に遺骨が吸いこまれるようにおさまったという伝説によるそうです。
『中原の虹』では、この永陵の土饅頭の下に、天命の具体である龍玉が乾隆帝によっておさめられ、それを張作霖が奪いにくることから始まっています。浅田次郎さんも、ここを訪れたのでしょうか。
ちなみに、乾隆帝をはじめとする清代の皇帝は、都合9度にわたり、この陵を参拝しているそうです。
 
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相当寒いため、朝食を取らないとつらいということで、永陵鎮の小さな食堂で、豆腐スープを食べました。2元(30円)でとてもおいしかったです。
 
ここから一気に瀋陽の空港まで帰ります。
2時間の道のりですが、高速道路が混雑することもなく、順調に12:00には到着しました。
そして、東京行き13:50の全日空で帰国の途に就きました。
 
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飛び立ってまもなく、撫順の町が見えてきます。そこには、巨大な穴が。
かの有名な撫順の石炭露天掘りの巨大鉱山でした。すごすぎて、カメラの電源を入れてしまいました・・・。
すみません。