アンフォラのつぼ

花鳥風月の写真とクラシック音楽(特に小澤征爾)を追いかけています。

高野山への道

前回から東日本大震災直前に出かけた「祈りの旅」の記事を思い出しながらアップしています。
 
 
2011年3月5日(土)
 
前回の記事で、和歌山市内の一の宮巡りを書きましたが、それを終えて朝一番の飛行機で来た嫁と合流。
レンタカー借りて高野山へと向かいます。
 
紀ノ川に沿って上流へと美しい景色の中をドライブし、最初の目的地である慈尊院へ。
イメージ 1
慈尊院は、女人禁制で高野山に入れなかった弘法大師の母親が滞在しており、そこを弘法大師が何度も訪ねたといういわれの場所で、高野山町石道の起点ともなっています。
 
イメージ 2
慈尊院の裏には丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)は、慈尊院のすぐ裏に立っています。
慈尊院もこの神社も、高野山町石道の一部として、世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道』の登録資産の一部となっています。
 
イメージ 3
神社の石段の途中から、山へとはいっていく道があり、そこが町石道と思われます。
初めて見た町石に感動し、写真を撮りまくりました。木漏れ日が多くて、なかなか撮りにくい被写体でした。
 
イメージ 4
神社から裏手に出ると、次の町石がコンクリート舗装された道に立っていました。高野山までの距離がひとつずつ記されていて、さきほどのものからひとつ単位が減っていました。ここは119町と書かれています。
 
ここからは山道をドライブしますが、町石道の近くを走っている道を選んでいるため、時折町石を見ることができるポイントが現れます。
 
途中で町石道への案内板があったので、自動車を停めて、少し山へと分け入ってみました。
 
イメージ 5
町石道まで500mほど歩くと、新しいこのような看板が立っていた。大門とは高野山の入り口にある門のこと。
 
イメージ 6
少しだけ町石道を歩いて行くと、あった!
山の中で出会う町石は、いかにもかつての新興の道らしくて神秘的。
 
イメージ 7
山里に立つ丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)。こちらも紀伊の国の一の宮であり、高野山の鎮守として建てられたものです。
山を背にして、かなり神々しい場所に立っているのが印象的です。
巡礼の舞台装置としてはぴったりでしょう。
 
イメージ 8
本殿が4つ並んで立っていました。
 
ここからさらに急カーブの連続する道を高野山に向かって登っていきます。
ここも町石道との交差があり、道脇に町石が見られます。
高野山への道はいくつかありますが、ここを選んで大正解だと思いました。
 
イメージ 9
短くなっている町石です。ここは39町。あと少しです。
 
イメージ 10
そして、高野山の大門がでーんと現れました。ここからは高野山です。
 
ちなみにここでお昼時。
随分いろいろなものを駆け足で見ながら移動してきました。
 
高野山の見学は次回(たぶん来年)アップしようと思います。
 
今年はこんな巡礼の旅をしたのに、直後の大震災・・・。
でも、何かこれにも示唆するものがあるのではないかと感じています。
来年はもっと良い福島、日本になると良いなあ。
 
 
では、いわきへと帰省します!
良いお年を!!!