アンフォラのつぼ

花鳥風月の写真とクラシック音楽(特に小澤征爾)を追いかけています。

植物写真家新井和也さんのこと

なかなか自分の中できちんとした整理がつかないまま、1年が経った。
今日は、剱岳で落石に遭い42歳の若さで亡くなった植物写真家の新井和也さんの一周忌。

とても私的なものなので、誰かに伝えたいものでは全くないが、自分の記録として、整理として、新井さんのことを静かに振り返りたい。

※写真は新井さんと一緒に行った時の花、人物はすべて新井さん

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初めて新井さんの作品を見たのは、おそらく山と渓谷の誌面ではないかと思う。
もしかしたら花のカレンダーかもしれない。
その頃は、山のガイドブックを作る仕事をしていたことから、山の雑誌をしっかりとチェックしていたころだった。
そんな折、隣の部署の先輩から、高山植物が好きなら行ってきたらと、新井さんの写真展の案内をもらった。
なんでも、かつて仕事を頼んでいた編集プロダクションで新井さんがカメラマンをしていたという。
浜松町の小さなギャラリーだったと記憶しているが、アツモリソウのみずみずしい写真がとても印象に残った。

それから1~2年くらいして、山歩きのガイドブックや雑誌の数が増え、市場にようやく認識されてきたころ、
新井さんから電話連絡がきた。
そして初めての対面をしたとき、え、こんなに若いの? 同世代かな??
これまでお会いした植物写真家はそれなりに年上の人が多かっただけに、正直驚いた。
そしてその真面目でひたむきな植物への向かい方(バランスが良いわけではなく、ひたすら植物が優先されるといっても過言ではないその愛情の深さに、こんな人がいるんだという思いを強く持った。

おかげさまでいくつかの雑誌に写真、執筆いただき、いくつかの取材をお願いした利を続けながら、最終的には新井さんの著書を作ることまで実現できたのは、本当に幸運だった。
著書ともなると、編集者の意図などお構いなしに、ひたすらに疾走し続ける新井さんとのちょっとした真剣勝負が、少しは心地よかったし、正直大変だった・・・。

そんな仕事の中での付き合いとは別に、植物好きの端くれとして認めていただくことができたのか、何度か山に一緒に行く機会を作ってくれた。
どれも本当に思い入れが深いが、やはりアツモリソウ、コアツモリソウ、そしてサカネランを見ることができた、梅雨時のドライブが印象的だった。
誰もいない草原に、いくつものアツモリソウが今まさに旬といった咲き方で待っていてくれた。
植物写真家のもう一人の新井さんと、私たちの仲間の横井さん、そして新井さんの奥様の5人で、夢中になって花を眺め、撮影した。
誰ももうそろそろとは言わない、不思議な雰囲気。
何とも言えない経験をした。

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さらには、雪山も面白いのだと、麦草ヒュッテ泊まりでの北八ヶ岳。初めての雪山は天気も改正で、メルヘンな森の雰囲気を存分に堪能させてもらった。
霧ヶ峰にキリガミネスミレを探しに行ったのも良い思い出。
そういえば、三毳山にも行った。

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新井さんが素晴らしいクライマーなのだということは、もちろんブログでも、ほかの方からもとてもよく聞いていたのだが、私と一緒に行く新井さんは、そういった逞しい面を出すというよりは、植物の伝道師といった姿ばかり。
決して話が流暢な方ではないと思うのだが、花の話題になると、むしろどこかで止めないといつまでも話をしているような人だった。
特にここ数年はシカの食害や環境問題の話になると、話が熱を帯びる。

こんな素人の私でも、花の情報交換は頻繁にしてくれた。
私の地元の花の話題なんかも聞きたがったりしてくれたし、私も花が見つからない時など、現地から電話してどこですか?みたいなこともしばしば。
仕事が変わり、本を作る現場から離れてからは、完全に情報交換(一方的にもらう方ではあるが)としての付き合いになった。私としては、勝手に「花仲間になれたという気がして、そてもその関係がありがたかった。
時々山と渓谷社に行くときなど、帰りがけに寄ってくれて、長話ということもあった。
お子さんができてからは、一緒に山に登りたいとか、グッズの研究をしている話とか、もその後を追って子供ができたので、いろいろ左脳になる話をたくさん伺った。
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2013年、直接会った最後は、秩父市のあるセツブンソウ自生地での偶然の出会いだった。
割と花好きは同じ時期に同じ花を目指すということもあり、偶然出会うということはそうまれではない。
秩父でも、看板もない知る人ぞ知るセツブンソウ自生地ということもあって、自分たち以外の人とはちょっとした会話を交わす程度で、それぞれ思い思いに写真を撮っているのが普通だが、新井さんはその時近くに寄ってきてくれた。
実はお互い花粉症がひどく、マスク姿。
特に新井さんは、そのストイックな性格からか、マスクも相当ストイック。
顔のほとんどを隠してしまっていて、高身長の姿と朴訥とした話し方でなければ、疑いもしなかった。
おお、お久しぶりです、と話になり、イヌノフグリの自生地の情報などを好感し、まだ撮影を続ける新井さんとは別れた。まさかそれが最後になるとは。

そこからも週に1回くらいはブログをチェックし、動向を把握していたが、亡くなる4日前、会社に電話がかかってきた。
著書の注文を取ってきてくれたとのことで、ありがたk情報をいただき、近頃の情報交換をした。
朝日岳のヒメサユリを見てきて、とてもよかったとのこと。
来年は行ってみたいのでと私は答えた。
そしてその週末、地下鉄の中で何気なく見ていたツイッターのニュースで、その訃報を知ることになった。
その後植物関係者からも連絡が入り、茫然とするしかなかった。

それから1年。
どこの山に行っても、どんな花を見ても、新井さんと話をしてきたことが結構ベースになっていたことを、知らず知らずのうちに気づかされることばかり。
そういえば、あの花のことを聞いたな、ここの山にランがあると言っていたな・・・
そんなことを思い出すことばかりだった。

先々週、新井さんとの約束(とまでは言えないが)の朝日岳にヒメサユリを見てきた。
私としては1つの区切りになった気がする。
新井さんの活躍した時代を一緒に過ごすことができて本当に幸運だったと思いつつ、胸にしまいたい。

来週末は、新井さんと一緒に本を作った八ヶ岳登山。
ここでもまた思い出に浸ることになると思うが、これも何かの縁。
花を見て、一緒に行くメンバーたちに花の素晴らしさを伝えることで、新井さんの遺志のほんの一端を受け継ぎたいと思う。

新井和也さん、10年ほどの短い間でしたが、本当にありがとうございました。
そして安らかにお眠りください。

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2017/7/6 朝日岳のヒメサユリ