アンフォラのつぼ

花鳥風月の写真とクラシック音楽(特に小澤征爾)を追いかけています。

「福島」であるために

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今日は空気が澄んでいたので、自宅前から久しぶりに日光男体山が見えました。右手の大きな山塊は女峰山です。
 
さて、毎日のニュース報道にもある通り、被災地の復興作業がようやく始まってきているようです。春に向かって少しずつでもそういった動きが進むのは、本当にうれしいことですね。
ところが、私の故郷福島県は、長期化する原発問題によって、放射性物質の問題だけでなく、風評被害でも多くの産業がダメージを受け、復興の足がかりが見えないエリアもあるようです。
このまま続いてしまうと、放射線被害をまともに受ける農業、漁業などの1次産業にとどまらず、放射線の危険性によって各企業の支店、工場などが他県に移るなどの動きにつながって、産業全体が縮小してしまうことも懸念されます。
見えないものの怖さと言うのは、こういった意味でも本当に恐ろしいものです。
 
恐ろしいエピソードをひとつ。
金曜日の朝日新聞の投書欄に、東京周辺のどこかだったか忘れましたが、いわきナンバーの車が駐車してあるのを見た住民が、汚染されているからどかすようにと苦情を出したという記事を見て、心底憤りを覚えました。
みんながこの危機的状況を分かち合って、デマや風評に惑わされずに暮らしていこうという動きが進んでいる中で、何と自分勝手な反応なんだと、本当に悲しくなります。
 
ところで、海外でも「Fukushima」のニュースは大きな関心を持って報じられているようです。
このままでは、「Hiroshima」、「Nagasaki」などに加えて、「Fukushima」が、スリーマイル島のように、原発事故の地として世界に記憶されてしまいます。もうすでにそうなっているのかもしれません。
これまで、外国に旅行した際、出身地を聞かれて「Fukushima」と答えても、誰も知りませんでした。そこで、日本語で「Happy Island」のという意味の場所だと伝えると、みんなそれは良いところだと言ってくれたものです。
なんとか「Fukushima」という単語が、危険な地域だと世界中に認知される前に、「幸福の島・福島」であるうちに、原発の状況が落ち着くことを切に願ってやみません。
 
必死の作業に従事していらっしゃる東京電力他関係各社・団体のみなさん、本当にありがとうございます。
何とか早い解決方法が見つかることを祈っています。