アンフォラのつぼ

花鳥風月の写真とクラシック音楽(特に小澤征爾)を追いかけています。

いわきレポート

この週末、いろいろと気になっていた実家に行ってきました。
私の実家は福島県いわき市です。
震災で沿岸部が津波で被害を受け、原発風評被害の影響を受けていると報道されているところです。
実家では、食糧などは充分事足りているから大丈夫だということを何度もきいていましたが、どうしても不安がぬぐえませんでした。
ずっと続いていた断水も、金曜日には水が出るようになったようで、これなら行くことで迷惑もかからないだろうと、親戚の方々への被災見舞を携えて、レンタカーで向かいました。
 
私の実家は、いわき市泉町で、原発からは40~50kmの範囲と言うところでしょうか。
小名浜港に近いのですが、海からは直線でも2kmほどあるので、津波の被害はありませんでした。
 
岩城へと続く常磐道は、水戸付近と高萩付近に段差が何か所も見られました。スピードを出していると、跳ねてしまうと思います。いわき付近ではそれほど大きな段差はありませんでした。
東京消防庁自衛隊の車も走っていました。
 
インターを降りて6号バイパスを走ったのですが、鮫川大橋辺りには津波が来ているような痕跡がありました。
橋周辺の道路は、陥没しているところなどがあり、徐行で走らなくてはとても危険です。
大きな道、路地などいたるところで道路に被害が出ています。
これらをすべて修復するのにもずいぶん時間がかかりそうです。
火力発電所のそばの岩間地区は、本当に跡形もないという表現が当てはまるのではないかと言うほどの惨状が、バイパスから見えました。初めて自分の目で見る津波の被害に驚きました。
 
実家に着いてみると、壁などにひびが入ったり、お風呂のタイルがはがれたりはしているものの、ほとんど普段通りの生活を送っていました。水の詰まったたるやタンクが、最近までの断水の名残です。
私の小さい頃に買った五月人形など、思い出の品が破損してしまい、処分することになってしまったのが残念ですが、あれだけの地震で人的被害が出なかったことを思えば、しかたがありません。
冷蔵庫などを見てみると、たしかに食糧がいっぱい。
ため込んでしまう母親の悪い性格が、こういうときに役だったようです。
さらに、ここ数日スーパーが営業を始めており、ものがあふれているとのこと。
今回の被災地は非常に広いので、地域によっていろいろ事情が違うんだということが、よくわかりました。
なにはともあれ、まずはずっと震災以来心配だった気持ちは一安心です。
 
ひと段落した後に、海岸の永崎という集落にある親戚のところと、石板が割れたという我が家のお墓を見に行くことにしました。
その際に、津波の恐ろしさを痛感する場面をいくつも見ることになりました。
 
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小名浜産業道路にあった津波の痕跡です。
左右の工場群にも、かなりの被害が出ているのが見えました。
 
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小名浜の魚市場は、建物はありましたががれきが散乱しています。
漁船のいくつかが転覆していました。
 
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永崎集落は、津波が襲い、このようにがれきになってしまっところもありました。
いつも来ているところだけに本当にショックです。
震災翌日に父親が来たときにい比べると、ずいぶん片付いたそうですが、それでもこの状況です。
 
イメージ 4
永崎の道路から見た建物が、傾いてい待っていました。
この近くの川を津波が遡上したようで、川沿いの被害が激しいようです。
 
お墓の石板は、完全に落ちて割れてしまっていました。
また周辺の地面に大きな亀裂が生じていました。
墓石が倒れてしまったところもありましたが、うちのは無事でした。
 
イメージ 5
中之作の港です。転覆している船も見えますし、港の建物が大きな被害にあっています。
 
大きな被害にあったと聞いていた豊間地区まで走ってみることにしました。
どういう風に津波が来たのか定かではありませんが、永崎よりも、見た目にも間違いなく大きな被害が出ていました。波の方向なのでしょうか。言葉もありません。
自衛隊の姿もありました。途中で内陸部に住む同級生が道端から私に気づき、明るく手を振ってくれました。
片付けの手伝いをしていたようです。少しだけホッとしました。
 
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これは家の2階の部分だと思います。
 
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道の両脇にがれきの山が。
 
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残っている建物の2階のところに、何かが引っ掛かっています。
ここまで波が上がったということでしょうか。
 
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車が茂みの中に。
 
テレビ報道そのままの光景に、大きな衝撃を受けて、家に帰りました。
やはりこれまで何度も通っていた所が、こんな風に変わってしまうということが、本当に信じられませんでした。
内陸部では瓦が落ちている被害がずいぶん多いようですが、津波の爪痕を見てしまうと、その比ではありません。
 
私が今回いわきで見たもの、聞いたものは、自分の周辺でしかないので、いろいろな状況があるとは思いますが、市内を走ってみて感じたことは、三陸の市町村とは違い、津波の被害は海岸沿いのある一定の地域に限定的だということです。
いわきの広大な市域のうちの大部分については、津波の被害からすれば小さいものですし、ライフラインも徐々に復活しており、経済活動も回復しつつあるように見えました。
(もちろん個々に見れば大変な苦労をした人も多いと思いますが)
日曜には海鮮レストランで昼食を食べましたが、店は行列するほど大繁盛していました。
断水などで鬱々とした3週間を過ごしていただけに、消費意欲が戻ってきたのかもしれません。
スーパーも、東京よりも品ぞろえが豊富なくらいに感じました。たくさんあった納豆を買ってきてしまうほどでした・・・。
(あくまで市の南部ですし、復活したばかりだそうですが)
ガソリンスタンドも、休業しているところもありましたが、行列にはお目にかかりませんでした。
風評被害でゴーストタウン化という報道もありましたが、地震から3週間が過ぎ、新年度と言うこともあって、避難していた人たちも続々と戻ってきていると聞きました。
目に見えない放射性物質については、数値も低めだからか、あまり気にしているようには見受けられませんでした。もっとも、気にする人は出て歩いていないのかもしれませんが、町が賑わっていたのは確かです。
 
みんなが普段の生活を取り戻していきながら、大きな被害を出した沿岸部の復興を支えていくしかないですね。
原発がなんとか早めに落ち着くことを祈りつつ、これからもふるさといわきを応援していきます!!!