パルミラ遺跡【シリア】
【概要】
シリア中部の砂漠地帯のタドモールというオアシスにある遺跡。シルクロードの隊商交易で栄えた古代のオアシス都市である。紀元前6世紀ごろからアケメネス朝ペルシャの支配下に入り、アレクサンドロス大王、セレウコス朝シリアの支配を経て、紀元前64年に、共和政時代のローマの属州の一部となった。前後してパルミラ王国が誕生し、期限32年にはベル神殿が築かれた。2世紀にはローマ帝国のトラヤヌス帝によってナバタイ王国が併合されてからは、交易の中心がペトラからパルミラに移り、興隆期を迎える。267年に女王ゼノビアが実権を握るが、272年にローマ帝国に降伏し、歴史の表舞台から姿を消した。
現在の町が、遺跡をよけて作られているため、列柱通路や神殿の跡など、街そのものが遺跡として残されている。周辺には墓の谷などもあり、広大な遺跡地域となっている。
ベル神殿の内陣。南北の祭壇にレリーフが残る。
ベル神殿の内陣に残るレリーフ。上部に羽を広げた鳥と、中央部には星や神が彫られている。
列柱の上部には代が付いていて、町に貢献した人の像がそれぞれ乗せられていた。
四面門より北部にかけて、ディオクレティアヌス城砦のあたりまで、住居跡の遺構が続く。じっくり見れば、造りが分かりそうな礎石も残っている。
【旅行記】
2010年5月31日
ダマスカスのガラージュ・ハラスターから、パルミラ行きのバスが出る。所要はちょうど2時間。終点ではなく、バス停は遺跡の近くではないので、周りをよく見ておく必要がある。目安としては、進行方向右側にアラブ城が見えればまもなく到着。バス停からはタクシーに乗ることになるが、ここでの出合いは大切。アラブ城のサンセットや、お墓めぐりなど、セットでいろいろ回ってくれるのが普通のようだ。ただ、観光地料金なので、しっかり交渉する必要がある。
2010年5月31日
ダマスカスのガラージュ・ハラスターから、パルミラ行きのバスが出る。所要はちょうど2時間。終点ではなく、バス停は遺跡の近くではないので、周りをよく見ておく必要がある。目安としては、進行方向右側にアラブ城が見えればまもなく到着。バス停からはタクシーに乗ることになるが、ここでの出合いは大切。アラブ城のサンセットや、お墓めぐりなど、セットでいろいろ回ってくれるのが普通のようだ。ただ、観光地料金なので、しっかり交渉する必要がある。
ホテルはどうしても遺跡の中の唯一のホテル、ゼノビアシャームパレスに泊りたかったので、予約しておいた。目の前にバールシャミン神殿が立ち、列柱通路まで徒歩5分。夜はライトアップを見ながら夕食が食べられる。
夏場だったので、遺跡は最高気温が47度まで上昇した。いくら乾燥しているとはいえ殺人的な暑さのため、昼間はできるだけ動かない方がいい。間違って動いてしまったために、ひどい目にあった。遺跡には列柱くらいしか影がないので、本当に危険。
ベル神殿では、私設ガイドが声をかけてくる。英語だが、ある程度簡単な英語でがいどしてくれる。やっぱり遺跡はガイドがいると全然違う。300シリアポンドでざっとガイドしてくれるが、今回はお客もいなかったからか、じっくりと通常は入れないところまで案内してくれた。