アンフォラのつぼ

花鳥風月の写真とクラシック音楽(特に小澤征爾)を追いかけています。

シリアの歴史遺産が危ない

ナショナルジオグラフィックが、今日2012年8月20日付で以下のような記事を配信した。
一部を引用する。
 
~~~~~引用~~~~~
 シリアの古都アレッポで戦闘が激化するなか、先ごろ中世から残る城塞が砲撃を受けた。少なくとも1発の弾が塔を貫通し、数百年前の扉を破壊し、石造りの通路に穴をあけたという。砲撃後、インターネットに投稿された動画には、門をくぐる歩兵たちの姿と、城塞の周辺をパトロールする装甲車の姿が映し出されている。

 戦闘で攻撃を受けたシリアの歴史遺産は、アレッポの城塞だけではない。2011年に始まった戦闘は、2万人以上とも報じられる多くの犠牲者を出しているほか、ローマ帝国時代の史跡、ビザンチン教会、イスラム教徒の要塞、オスマン帝国時代のモスクや住居など、シリアの遺跡にも深刻な被害をもたらしている。

 今も数多く残る建造物や遺物は、シリア5000年の文明を物語る。「人類文明の主要な時代のほぼすべてにシリアが登場する」とロドリゴマルティン(Rodrigo Martin)氏は話す。(一部省略)

◆遺跡の損傷は修復不可能?
 アレッポの城塞と同様に、有名なクラック・デ・シュヴァリエ城も損傷を受けた。こちらは12世紀にフランスからの十字軍が築いたものだ。2012年に入ってシリアの報道機関が報じたところによると、銃で武装した人間たちが略奪目的またはそこを砦として利用するためにクラック・デ・シュヴァリエに入ったという。7月にインターネットに投稿された動画には、保存状態が良く、2006年にはユネスコ世界遺産にも登録されたこの城塞が、戦車によって砲撃されている様子が映し出されている。
(一部省略)

 少なくとも紀元前3世紀から存在する都市アパメアもまた、戦闘による攻撃にさらされ、加えて略奪の標的となっている。3月にインターネットに投稿された動画では、ローマ帝国時代の列柱の近くで爆発が起こっている。この列柱は、考古学者が元々あった1200本のうち400本を修復したものだ。

 また、略奪者が専用の機械を使ってモザイク画や柱の上部の装飾を取り外したとも報じられている。インターポール(国際刑事警察機構)は5月、遺跡から持ち去られた遺物の捜索を開始した。

◆破壊の後には略奪
 アパメアで発生した略奪行為は、これから起こることの前触れにすぎないのかもしれない。
(一部省略)
 現在もなお、シリアの博物館や遺跡から略奪された品々は国境を越えている。アラブ圏のテレビは4月、シリアとレバノンの国境で税関職員に止められた車両から、貨幣、彫刻、モザイク画、アンティークの宝石など、1000点を超える遺物が見つかったと報じた。
(一部省略)
Lacey Gray for National Geographic News
 
~~~~~引用終わり~~~~~
 
この記事に出てくる遺跡の数々は、たまたま一昨年の2010年、私たち夫婦が訪れた場所ばかりだった。
 
内戦は、自分の命を守るためという面もあるだろうし、今後の平安のため、という面もあるのかもしれない。
歴史遺産が大切なのか、そこに暮らす人々の命が大切なのか。
そこらへんの事情は、遠い島国からでは汲み取りようもない。
シリアの重層的な歴史の中で、いくつもの歴史的遺産が葬り去られたり、それを利用して新しい文明が壮麗な建物を作ってきたというのも真実。
 
ただただ傍観者として、歴史の最上部にいる一人として、これらの歴史遺産がなんとか戦禍に崩れ去ることのないことを祈るばかり。
そして、旅先であっていたかもしれない一般市民の暮らしが脅かされず、早く平穏に戻るよう祈りたい。
 
イメージ 1
アレッポ城アレッポの旧市街にそびえる丘の上に建てられていて、数千年の歴史が積み重なっているそうだ。
 
イメージ 2
クラック・デ・シュバリエ。十字軍が建てた城で、ヨーロッパの城郭建築のモデルの1つになった。
 
イメージ 3
アパメア遺跡。ここでは本物かどうかわからないkが、古いコインを売るおじさんに付きまとわれた。