アンフォラのつぼ

花鳥風月の写真とクラシック音楽(特に小澤征爾)を追いかけています。

東大寺お水取り見学第2夜

ちょうど1年前の奈良旅行をアップしてます。
昼間は奈良市内のお寺巡りをし、2日連続でお水取りにやってきました。
 
 
2011年3月7日(月)
 
前の日同様16時過ぎには二月堂に到着。
今日は平日なのでゆっくりでもいいかと思ったけど、じっくりと場所を確認するために早めに来ました。
 
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まだほとんど人が来ていません。
この作の中がびっしりと人で埋まります。
もちろん柵の外も。
機能は下に見えるお社の裏、そして、結局いろいろ検討した結果、今回そこで見ることにしました。
 
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二月堂の脇にある水槽は、黒く焦げただれていました。
ここで火を消しているようです。
 
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二月堂へと続く回廊の下には、今日使用される松明が置かれていました。
これを一人で持つのは大変そう。
 
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二月堂の欄干(松明が渡るところ)から見下ろしたところです。
少しずつ人が集まっています。
右手にあるのが松明が上る回廊で、
下の建物に僧侶が待機しているようです。
彼らがお堂に上がるときに松明がたかれるのです。
 
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私が待っていた社のところに神主さんがやってきてなにやら儀式が始まりました。
お寺も神社もきっちりと別れていないころからの伝統的な何かがあるのでしょう。
 
後で調べたところ、興成神社という二月堂の鎮守神で、修ニ会に際してお参りをされるそうで、この日は偶然にもちょうど中日にあたっていたのです。
中日と言うのはどういう意味があるのかと言うと、二月堂に祀られている十一面観音(絶対秘仏)は、大きいものと小さいものの2体あり、大きい観音様が前半の本尊で、小さい観音様が後半の本尊となるのだそうです。
そのため、中日の日没後に小さな観音さまが二月堂の中で引き出され深夜に交代するのだそうです。
この後、二月堂からは雅楽の調べが聞こえてきました。
下で待っている私たちにはわかっていませんでしたが、知っている方たちは二月堂の中でその音楽を聴いているそうです。
 
昨夜と同じように暗くなってくるとお水取りの歴史や注意を促す放送が流れ、7時になると灯りが消され、鐘が鳴り始めます。
また歴史に圧倒される時間が始まります。
 
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回廊を松明が上がっていきます。
 
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二月堂の欄干にたどり着くと、火の粉を巻きリラ須要に振り回されます。
 
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左から右へと松明が移動しますが、ここは持っているお坊さんの個性の見せどころ。走りこみ方や火の粉の落とし方は人によってそれぞれ違います。
 
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風の向きや湿気によって毎日雰囲気が変わることが分かりました。
 
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ひとつが右橋に来ると、左端に新たな松明が現れます。
これが交互に繰り返されていきます。
その入れ替わりは、お坊さんたちの静かな掛け声でなされます。
 
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火の粉とともに落ちる燃えさしは、縁起物とされ、みなさん終了後に集めていました。
私も見よう見まねで集めてきました。
 
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これを持って走るのは並大抵ではないでしょう。
 
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松明の造り方のせいか、あっという間に大きな塊がおちてしまう松明もあったりして、瞬間の芸術のような感じがします。ま、芸術ではなく宗教行事ですが。
 
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写真で見ると炎の龍のように見えます。
 
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奈良に春を告げるお松明。
世界の平和を願う修ニ会の行。
悠久の歴史と信仰(特定の宗教ではなく)と、行われていることの荘厳さに感動し尽くしました。
 
まさかこんなに心を清められた直後にあの大震災で別な心を揺さぶられるとは、この時夢にも思っていませんでした。
 
 
翌日は旅行最終日。
和歌山市に車を返さなくてはならないので、奈良を南下しながら飛鳥、吉野を巡ります。